株の短期売買で毎月10%を目指すブログ

3年前に株式投資を100万円で始めました。基本は一点集中で全額投入です。

ミニマリストによれば「結婚して子育てする事は最大の無駄」らしい

体重計に乗る。

勃起する。

体重は変わらない。

射精すれば変わるかな?

 

そうです。私は太っています。太った中年はみんな口を揃えて同じ事を言いますが、私も若いころは痩せていました。

言い訳っぽくなりますが、加齢による代謝の低下と娘の食べ残しを全部食べていたことにより、40を超えてから急激に太りだしたのです。とは言ってもまだメタボと診断される程ではなく、やや小太りで以前着ていたスーツが少し苦しくなってきた程度です。

本日は上記の記事に出てきた友人のミニマリストと飯を食いました。

どういう人間か簡単に説明すると、ミニマリストを自称する割には、禿げかけの長髪を後ろで縛り、近眼でもないのに何故か必要もない伊達メガネを掛け、全身無印良品の服でコーディネイトしている、いわゆる似非ミニマリストなのです。

もちろんミニマリストを自称するだけあって、エコでロハスな生活と日々のジム通い(これも私は無駄に感じる)の甲斐もあり、私と同い年ですがスマートな体型をしています。

そいつが私が最近太ってきたのを、まるで私が犯罪者かのように糾弾してくるのです。

「ジムに通ってるおかげでスタイルが維持できてるので、コスパに合っている」
「贅肉なんてムダの象徴、よく身に着けてるな」
「欧米では太ってる人間は自己管理ができないと評価され、絶対に出世できない」などなど、言葉の限りを尽くし私の体型をボロカスにこき下ろすのです。

私が苦し紛れに、娘の食べ残しを食べたり家事子育ての手伝いをするから、以前のようにマラソンや自転車をやる時間がないのだと言い訳をすると、なんと驚いたことに
「結婚なんてコスパ最悪な事、絶対に考えられない」
「子育ては返すあてのない借金をして、金利だけを返し続けるようなもの」
「自分以外の人間に、人生の足を引っ張られるリスクでしかない」と独自の理論を展開し、とうとう結婚や子育てにまでコストを持ち出してくるので、私にはもう返す言葉がなくなってしまいました。

もちろんミニマリストと呼ばれる大多数の方が、きちんと理に適った断捨離をされていて適切な取捨選択によって、人生をより良いものにされていることは十分理解しておりますが、ちょっと私の友人は歪な押し付けがましい系のミニマリストのようですわ。そんなに何でもかんでもムダムダ言ってたら、生きてること自体が最大のムダじゃないか。

 

 

ムダとはなんなのだ。

私は結婚してまだ8年、娘が生まれてまだ2年しか経っていないので、偉そうに既婚者や父親の代表として意見を述べられる立場ではありませんが、結婚や子育てがムダとかコストに合わないなんて思ったことは一度もないです。

確かに若いころは体も元気だし遊びたい気持ちが強くて、結婚してお金や時間が自由にならないなんて絶対イヤと思っていましたが、30を超えた辺りに今の妻と出会い、お互いがお互いの生活に欠かせない存在に感じるようになってからは、特に大きな決断も勇気も必要なく気が付けば自然に結婚していました。

結婚してから何年も子供ができなかったけど「子供がいなくても二人でずっと夫婦楽しくやっていければいいや~」と半ば諦めかけていたら、ある日突然娘ができて、それも特に驚きもなく自然に受け入れることができました。

娘ができたらできたで大変なこともあるし、当然お金も必要になる機会も増えてくるだろうけど、その分幸せだな~と感じる瞬間も確実にあります。

全宇宙の全生命体は子孫を残すように遺伝子がプログラムされてる筈で、コスパがなんだリスクがなんだと屁理屈を言って、本能に背を向けてるのは人間だけではないでしょうか。

この先の高齢化社会や先行きの見えない不景気、離婚率の高さなどから未来に希望が見出せなくて、子孫に自分と同じ苦しみを味わって欲しくない、という気持ちももちろん理解できます。

しかし上手く説明できませんが、やはり理屈を超えたところで自分の家族を持つ喜びというのは確実に存在すると、私は強く思います。

 

家族のいる幸せとは

私は昨日の記事でも書いたように、日々妻の目を盗んでオナニーしないといけない身分であります。

別に禁止されてる訳ではないし、アマゾンでローション買ってるのもバレているので、しこった後はうすうす気付いてるとは思うのですが、それでもやっぱり知らんふりするのが暗黙の了解となっております。

さらに私はもう42のおっさんですが、妻はまだ若く二人目を欲しがっているので、当然そのために定期的に子作りも行わないといけません。オナニーのせいで子作りが疎かになってると思われるとこれ最悪で、下手すれば離婚を切り出されても文句は言えません。なので自然とそっちの方も頑張る必要があります。

子作りと言うとまるで義務みたいな印象ですが、無論お互いそれなりに楽しんで行われています。やっぱり夫婦幸せに過ごすにはスキンシップは必要不可欠なもので、ささいなケンカが起きてもピロートークの時になら素直に謝ることができるものなのです。

そうやって子作りの合間を縫って行うオナニーがまた格別で、独身の頃に相手がいなくて仕方なく行っていたオナニーとはまた違い、自分がオナニーとセックスを両立、まるで文武両道の優れた人間かのような幸せな気分にしてくれるのです。

それも全部やはり家族がいる安心感からくる幸せなんだろうな~と私なりに感じているのです。

 

私のオナニスト宣言

これからも私は家族とともに幸せな時間を過ごしていきたい。もちろんオナニーもいつまでも続けていきたい。私が若いころ、まさかこの歳になってもしこってるなんて夢にも思っていなかった。

中学生の頃、家族が団らんしているスキにこっそり忍び込んだ兄の部屋でエロ本を盗み見して行ったオナニーで私は罪悪感を学びました。

大学を卒業し一人暮らしを始め、誰に咎められる事なく自由に行ったオナニーで、本当の意味での両親からの自立を実感しました。

そして今、妻に見て見ぬフリをして貰いながら行うオナニーで家族の愛を知りました。

私にとってもはやオナニーは、人生を共に歩んできた家族なのだ。

これからも変わらず共に歩んでいくのだ。

 

昔、野球のノムさんは言いました。

「ワシは生涯一捕手や」と

 

私は生涯一オナニストである事をここに誓います。