「履歴書は手書きで」は老害の戯言なのか?
チャーリー君の得意先から「納められた品物に不良品が含まれていた」というクレームがありました。
不良品が納品されたというクレーム自体は、まれに起こる事なので、特に慌てる事もなく、お詫び状と共に代替品を再納品するのが一般的な対応です。
ところがチャーリー君は、そのお詫び状を手書きではなくパソコンで書かれた物を同封しようとしてたのを、上司のヨンピルさんに咎められて大目玉を食らってしまったのです。
「ワシらの時代はパソコンなんてなかった!見積もりも手紙も手書きだったからこそ、心の籠った付き合いができたんじゃ!」と激しく叱責され、普段は生意気なチャーリー君も完全にシュンとなってしまいました。
私もその様子を見て、クレームに対する詫び状はパソコンよりも手書きの方が良いんじゃないかと思いました。パソコンに入った雛形を利用すれば効率は良いけど、どこかお詫びの心が籠ってないような印象を受けるからです。
チャーリー君は今時の若者で、パソコンやスマホなどの新しい機器を使いこなし、立派な書類や資料を作るのですが、その鈍い神経が営業マンに向いていないのか、どうも成績の方が今一つパッとしないのです。
効率を追求するあまり事務的な印象を相手に与えてしまっては、詫び状の意味がないと思うし、その辺にまで気が回らない所が、チャーリー君の営業マンとしての致命的な資質不足のように私は感じます。
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「履歴書は手書きで」は老害の戯言なのか?
チャーリー君は昔から「相手からどう思われるか」に付いて無頓着な所があります。就職活動で我が社の採用面接を受けに来た時も、なんとパソコンで作った履歴書を持参してきた程なのです。
営業部の代表として選考にも係わったヨンピルさんは、そのパソコンで作った履歴書を見た瞬間「こんなヤツ絶対に不合格じゃ」と絶叫したのですが、各種試験の成績が良かったらしく、いつの間にかチャーリー君は採用されていました。
私も履歴書に付いてはヨンピルさんと同意見で、手書きで提出する事によって「他人に提出する書類を、相手の身になって丁寧な字で読みやすく作成できるかどうか」の能力を計る大切な選考の一部だと考えます。
汚く読み辛い字で書いて提出するような粗雑な人間でないか、誤字脱字などを起こさない集中力と、それを見逃さない注意力を持ち合わせているかどうかを選別する、有意義な判別方法だとも思います。
それを疎かにして採用試験に臨んだチャーリー君が、社会に出て苦労するのは最初から解っていた事だし、根本的な勘違いを矯正しない限り、彼が営業マンとして大成するのは難しいでしょう。
就職活動の際は、何十枚も履歴書を書く必要があるので大変なのは解りますし、実際に我が社がチャーリー君を採用してるように、そんな事に拘らない時代になって来てるのは間違いないですが、まだまだ効率よりも心遣いが大事な場面も多いです。
「あんな老害に言われたくないっすよ」と半べそをかくチャーリー君を眺め、今は激しく叱責されて聞く耳など持たないだろうから、また頭が冷えた頃に私からも少し言ってやらないと…と思いました。
新しい世代の利益を許さないのが老害
お詫び状と履歴書に関しては、私もヨンピルさんと同意見なのですが、以前に「そりゃないだろ、この老害が…」と思った事もあります。
ヨンピルさんは熱狂的なカープファンで、昨年カープが優勝した時などは涙を流して喜ぶ程で、今年も行きつけのスナックの女と一緒にマツダスタジアムへ観戦に行くと息巻いております。
以前カープが本拠地にしていた広島市民球場が取り壊される際に、広島県民が署名を集めて市民球場の存続を広島市に迫った事があったのですが、ヨンピルさんはその活動を積極的に行っていました。
「コージ(山本浩二)やサチ(衣笠)がワシらに初優勝をプレゼントしてくれた市民球場を壊させる訳にはいかんのじゃ」と、訳のわからん理屈と共に、市民球場の取り壊し反対を嘆願する姿を見て、私は「何やってんだこの老害が」と思ってしまいました。
取り壊しが決まった当時、すでにカープの本拠地はマツダスタジアムに移っていました。
広島市内の一等地に市民球場が残っていた所で、もはや何の役にも立たないし、取り壊して総合スタジアムにでも建て替えた方が、よっぽど世のため人のためになるのは間違いない事実なのです。
老朽化した市民球場を壊して、不便な場所にあるエディオンスタジアムに代わる新しいサッカー場でも作れば、そこでプレイする事を目標に新しい世代のスターが現れて、広島全体を盛り上げる事に繋がるでしょう。
仮に反対運動が成功して、市民球場の取り壊しが中止され存続された所で、ヨンピルさんを始めとした取り壊し反対派が市民球場を訪れたり、施設の保守管理を手伝うなんてありえないだろうし、それは何も産み出さない自己満足に他ならない愚行なのです。
それを「カープ初優勝の思い出が…」という年寄りのノスタルジーで取り壊しに反対し、そこに新たな歴史が刻まれる事を阻もうとするんなんて、それはまさに老害の悪名に相応しい所業ではなかろうか。
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新技術による恩恵を否定するのが老害
ヨンピルさんは、私が実生活でエロい話をできる数少ない人です。
飲みに行った際には、お得意の女を口説いた話から風俗での武勇伝など、昔の人間ならではの面白エロエピソードを話してくれるので、私はヨンピルさんと飲みに行くのが苦になりません。
しかしながら、一つだけ解り合えないな~と思ってしまう事があって、それは私がスマホでAVを見ながらローションを使いしこる事を頭ごなしに否定する事です。
「ワシらの時代はAVもローションなかった」「AVに頼ってると想像力がなくなって無人島でしこれない」「ローションでちんこを甘やかすなんて男じゃない」「スポーツ新聞のエロ小説が最高のネタ」などと、独自の理論で私のオナニーを否定するのです。
思えばヨンピルさんは60を超えてから、やたらと「ワシらの時代は~」を連呼するようになりました。
確かに貧しい時代に、物不足を創意工夫で補った精神は尊敬に値するけど、その価値観を今の人間に押し付けて同じ不自由を強いるなんて、まさに典型的な老害の思考そのものではないだろうか。
「ワシらと同じ苦労してないヤツなど半人前」などと、今の技術を持ってすれば容易に到達できる事を否定し、わざわざ回り道をして非効率な手段で目的を達成する事を美徳と考えるなんて、まさにカミカゼアタックの発想そのものじゃなかろうか。
いくら私がマゾだからと言って、便利になった現代にわざわざ不便な思いをして悦に浸り快感を覚えるような価値観は持ってはいない。便利なスマホでAVを見てローションを使ってしこりたいし、VRなどの新たな技術にもどんどんトライしていきたい。
これから時代が進むことで、私が想像さえできないうような技術が産まれて、それがオナニーに偉大な文化大革命を起こしてくれる事を夢見ながら、美しく年齢を重ねて行きたい。
昔、ロビンウイリアムスは言いました。
「今を生きろ若者たちよ」と
私は今をしこりたいんや。